| 断食日記 突然ですが 奈良の信貴山へ 軽い断食をしに行ってまいりました。 前回も書きましたが 普段からどこか本気を出し 切れない自分が居て ライフスタイルを見直す きっかけになるのではと思い ちょうど長い連休も取れたので 半分奈良旅行、の気持ちで 出発しました。 色々 記録しておきます。 ********** 初日 薬師寺と唐招提寺を参拝。 薬師寺で一番心惹かれたのは 古く朽ちかけた正門でした。 いつからここに居るのか、 どんな人を見送ってきたのか。 薬師三尊像よりも気になりました。 唐招提寺さんは、大きな講堂が平城京時代からのものと 思えないほど保存状態が良く、堂々たる建物でした。 断食の宿泊所は 40年近く実績があるそうで。 三分食の少々のおかずと 玄米ご飯を頂いて、個室で ゆっくり過ごしていると その晩道場長がやってきて (高齢のおばあちゃん) 下剤を渡されました...。 2日目 朝、鶯の声で目覚める。 梅醤油番茶というものが出されました。これがしょっぱくてまずいけれども、体内のデトックスによく効くんだとか。 信貴山からバスで、法隆寺へ向かう。 宝物館でツアーガイドの おじさんが面白い解説をして いたので、なんとなくついて行ってみる。仏像の正しい見方は、ななめ下45°らしい。 仏様は正面から見るものでは なく、下から拝む時に一番良いお顔になるらしいです。 対峙して鳥肌が立ったのは 百済観音様。 高身長で、これほどスレンダーな仏像ははじめて見ました。 (写真無くてごめんなさい) 作者も由来も不明らしく 唯その存在感だけは確かで、 自分のちっぽけさがよく分かる。 やわらかなゆがみ、飛鳥奈良の彫刻。 やはり古代人の精神力を感じる。作品を作り上げる精神力。 私たちは仏様を拝みながら、 仏師の魂を拝んでいるのかも しれない。 法隆寺から王子駅まで 歩いて帰る。 法隆寺周辺は、立派な 佇まいの家屋が多い。 春休みだからか子供がよく 出歩いていて、自転車を飛ばしたり、釣竿を持っている子達 とすれ違う。 「龍田神社のお祭りいつ やったっけー?」 少年達の会話が聞こえる。 軒先の地べたに座り一服して いるおじさんと目が合い、 会釈をする。 電話するおばさまとすれ違い、 断食中のお腹が空いてしまう。 「○君おる?シュークリームみっつと大福ふたつ買ってきたんやけどね~」 でも、そういう大和に暮らす ひとびとから なんだか素朴な エネルギーを感じて、 気持ちは満たされて しだいに空腹感は感じなくなりました。 3日目 少し胸が苦しく 頭がフラフラするので、 洗濯だけして部屋に閉じこもる。 同じ宿泊者の女性から 「私も似た症状だったし体の毒素が抜けていってるんだよ」 と聞いて少しほっとする。 4日目 体調はすこぶる良く 体も軽くなったようだ。 午前中 道場から20分程登った場所にある「空鉢護法」まで歩く。 上から下山してくる参詣者が、すれ違い際必ず「こんにちは」 と挨拶してくれる。 こちらも「こんにちは」と挨拶を交わす。 山の頂上からは、奈良平野がよく見渡せる。 こぢんまりとしたお堂だけど 昔から京阪神の多くの人から信仰を集めていたんだと思う。 周りには 白龍大明神、脳天の神、眠り観音…など沢山の 小さな祠があり、お賽銭の小銭が尽きてしまった。 下り道、不思議と上がってくる参詣者に声を掛けていた。 上がってくる人は大体上を向いて登るから、こちらとも目が 合う。何も言わないと なんだか気まずいし、こちらも 「坂キツイけど頑張って!」という気持ちが湧いてきて、 それゆえ「こんにちは」が自然と出てくる。 街には無い、こういう場所に しかない交流っていいなぁ。 勝守を見てトンカツを想像 したり、ハリボテ大虎の白い 髭をみて素麺を想起したりする あたり、やはりお腹は飢えている。 朝護孫子寺の境内は広くって お堂や塔が点在していて 回遊式になっています。 一度に色んな仏様や神様を巡る事ができて、軽い参拝ラリーのよう。 驚いたのは本堂の法要。 お坊さんたちの声の響くこと 響くこと...! お腹に響く大声、シンバルの ような鳴り物、よく分からない派手な音のする蛇腹の物。 勇猛な毘沙門天さんを祀って いるお寺らしく、納得の迫力。 本堂地下の回廊巡りは真っ暗で恐ろしく、気軽に入場した事をすぐ後悔することに。 右の壁を頼りにおそるおそる 歩くと、道半ば、仄暗く橙に灯る一角が。 そこには十二支に相当する神々のミニチュア像が安置されて いて、暗闇の中の灯火がとてもありがたく、思わず手を合わせてしまう。 何か新しいものを描くとき、 手探りで深海に潜るような そんな感覚に近い。 回廊巡りはまさにそれで。 頼りとなる壁が必要で、闇の中のひかりを求めて歩く。 心願成就、成りますように。 5日目 とうとう最終日。 同じ宿泊所の方々ともお別れ。 出会った人々は、 気仙沼でお寺の住職をされているというお爺さん。 福井から来て、10日断食して10kg痩せたという男性。 NHK大阪局に勤めているという男性。 宮崎からやってきたという 話しやすい男の子。 京都木津川から、リピーターで来ている養護保健教諭の女性。エネルギッシュで、健康や食事のことなど色々教えていただいたいただいた。 人数は少なかったけれども 普段は会えない個性的な面々に出会えて、ちょっとした来し方行く末の話ができて こんな風に人生が交錯するのって いいなぁと思った。 この数日間「ご飯を食べないと生きてけないんだな」という 当たり前の事を実感。 最終日の回復食は体に沁み入る美味しさでした。 玄米ごはん、やさしい味つけの煮びたし。 この忙しい世の中、食べものも情報も溢れてるけど 流されないように、自分軸をもって丁寧な暮らしをしたい、そう強く思う。 食べ物自体もそうだけど 食べ物を作ってくれる人もいなければ自分の口には入らない。 見えないけれども、生産者に 感謝。 そして美味しいご飯を 作ってくださった道場長や 使用人のKさん… 運営の方が高齢で少し心配ですが、お身体に気をつけて道場をこれからも継続してほしいなと思います。 *********** 寄り道 京都へ帰路に着く前に せっかくなので、 飛鳥の辺をめぐりました。 ならは空気がやさしいなぁ、 といつも思う。 やわらかいというか 特に電車から降り立ったとき 空気が変わったな、息がしやすいなと感じる。 地方都市は歴史の舞台から外れているから、こちらから会いに行って縁を結ぶしかありません。 そういう意味で京阪神に住む人が本当に羨ましい。 昔の人の作ったものに力が あるのは、昔の人の精神力が 純粋で強かったからだと思う。 汚染されていない土や水と しっかりつながっていて 今のような機械や工具が 無くとも 知恵と集中力を 結集させる精神力で すばらしい作品を遺せたんだと思う。 美術館や宝物館で、透かし彫りの彫金などを目のあたりにすると、特にそう感じます。 人が仏像を見て感動するのは、 それを自分と同じ人間が作ったという事実に感動するからかもしれない。 私たちが拝んでいるのは同じ人間が作ったもので、 だからこそ生み出された美しいものを見て奇跡だと思い、手を合わせたくなるんじゃないか。 「観音様」ではなく これからは「仏師の作品」として見たいと思った。 ****** 美しいものを観たあとで、 力の無い目、耳に障る濁った声の現代人が気になってしまう。 同類ではないと言い切れない 自分が悔しいけれど だからこそ、ちょっと断食に 挑戦してみた訳だけど‥‥ 『透明感』 奈良の滞在で求めていたのは 純粋な透明感かもしれない。 複雑に入り乱れて濁ってしまった世の中で、自力で浄化できる術を身につけたい。 ご飯やお茶や、色々しても自力で浄化できない時は 体まるごと、奈良へ行こう。 |